淡々と毎日同じように過ごせていると、ストレスも同じようで、なんとなくマネージできる気がしている。
でも、何か別の行動をとった場合に、種類の違うストレスを感じることがある。
大きいという意味ではなく、慣れていないものは、一瞬処理に困る。
そうして、いろいろな経験を積むことで、人はストレスと上手く付き合えるようになるのかもしれないと思う。
ストレスは、溜まるという言い方をする。
それが本当だとしたら、慣れていると感じているものでも、そうではないかも知れない。
近頃は、民放の番組でニュースを探すよりもネット上の動画で、いつでもニュースが観られるようになって便利だと思う。
しかも、特集番組だけを探すこともできるし、興味のないものは観る必要がないので嬉しい。
今日は、ウクライナに対する武器供与についての話を聞いていた賛否両論あるのは、当然だと思う。
世の中の人がみんな同じ考えだったら、それはそれで何か怖い気がする。
少し前に死刑制度のことについて話を聞きに行った時のことを書いたけれど、みんなの考え方が揃うということは、考えを行動に移す前に検証がされないような気がして、それも不安な気がするのだ。
イギリス国内で、アナウンサーがインタビューをしていた。
ー ウクライナへの武器供与にあなたは賛成ですか?
「はい、賛成です。しっかり戦ってほしいと思います」
「賛成です。侵略してきた相手の行為を止めるのに他に方法はありません」
「反対です。武器を供与するということは戦争をいたずらに長引かせるだけです」
実際にイギリスでは、90%ほどの人が賛成と答えていたそうだ。
私は2番目の人に賛成だ。
ある日、突然爆弾を落とされて、周囲の人が亡くなったら、抵抗せずに自ら私もどうぞと言う人は、ほとんどいないのではないかと思う。
ウクライナにナチスがいるから戦わなければならないという理由も、騙されているロシア国民以外、誰も納得していない。
もちろん長引かせたいとは誰も思わないと思う。
でも、勝手に侵略されたところを取り返すことは最低限必要だと思う。
土地だけではない。
そこには人がいるのだ。
北方領土を取り返すためには、ロシアと仲良くしなければならない、とか、尖閣を奪われないようにするためには外交努力が必要だ、と言う人たちがいる。
反対はしない。
それで取り戻せたり、奪われるのを阻止できるのなら良いと思う。
だけど、そんなことで安心はできない。
何故なら、既に武力を誇示して来ている相手が、そんなことで収めようと考えているとは信じられないからだ。
どこと仲良くするかという問題ではなくなってきている。
それなら日本は、戦後、ずっと周辺諸国と仲良くするように努力をしつつ、外交をして来たと思う。
その中で、立ち位置が決まっているのだから、現実的には、その範囲でしか動けない。
こちらが決めたわけではなく、結果的に妙なことになっている国もいくつかある。
もちろん長期で見て、この先のことはじっくり考えて行かなければならないと思うけれど、日米同盟がなければ国は守れないというのは、今日決まったことではない。
ネットの番組内で、日本の政治家の一人が、理解のできないことを言うのを聞いた。
イギリスで毒殺された元FSBのリトビネンコ氏の事件について、欧州裁判所も、珍しい毒物の調達や何度も未遂があったことなどから、ロシアの関与があるという結論を出しているのに、品物を購入するのにビジネス上で値段の折り合いがつかなくて殺されたという噂もあると話していた。
また、北方領土を返還してもらうのには米国ではなくロシアと仲良くしなければならないと言い、ロシアが侵略する前に、ウクライナが戦争を仕掛けようとしていたという噂もあるなどとの発言もあった。
仲良くしたら北方領土返還も可能だった頃とは、ゴルバチョフ氏の時代ではなかったかと思う。
逆に、領土を増やしたいと動いているプーチン容疑者にそんな交渉ができる人がいるとは思えない。
そして、まずは停戦だと、その政治家は言った。
ある日突然侵略してきた敵に自分の家族を殺された時にも、同じことが言えるのだろうかと驚くばかりだ。
一日も早く、ウクライナに領土が戻り、戦争の償いがなされる日が来ることを祈ることが自然ではないかと感じている。