結婚観

自分のこと
Unsplashfreestocksが撮影した写真

ありがたいことに欧州の友人が、このブログを読んでくれているらしく、時折感想が来る。
英語以外の外国語だと、日本語を翻訳するのは、翻訳機を使っても、まだ完全とは言えない。
誤解が生じている様子なので、もう少し書いておこうと思う。

結婚については、一度で関係が続いて、一生一緒にいられることほど素敵なことはないと思う。
けれど、生きていると様々な問題が起こるもので、相手が亡くなってしまうというケースだってある。
実際、そのような人を何人も知っている。

この先は、再婚に対する考え方なので、初婚の人とは少し考え方が違うかもしれないし、ましてや、海外で長めに暮らしていると、日本の一般的な人の考え方とも違っていると思う。
一番、わかりやすい結婚の理由は”愛しているから”、ではないかと思う。
でも、この”愛”が意外と曲者なのだ。
愛をたくさん持っている人もあるし、一途な人もいる。
若い頃には愛がたくさんあって、だんだん落ち着いて来るという人もあるのかもしれない。
結局は、”愛”がなければ結婚しないのが一般的だろうと思うし、私だってしない。

結婚がゴールでないことは、経験者ならよく知っている。
ただ、人によって結婚の意味は、少しずつ違うのかもしれないと思うようになった。
例えば、一緒にお買い物をして、一緒にお料理をしたり映画を観たり、考えや思いをシェアする相手が欲しいから結婚をしたいと言えば、友人でもできるんじゃない?ということになるかもしれない。けれど、人生はいい時ばかりではない。
調子が悪くても自分のことのように、あるいはそれ以上に助け合えることだと思う。
この人がそばにいてくれてよかった、とお互いに思える関係がいいのではないかと思う。

私はファザコン気味なので、甘えるための相手が必要だ。
もしも、知識が豊富で、人間的にも尊敬ができるひとで、自分で考えるよりも相手の選択の方が正しいと思える相手だったら最高だ。
他人の立場を先に考えてしまったりする私のHSP的な発想を理解してくれて、鷹揚な人だったら、もっといい。
あとは、お互いが黙っていても不安にならないような関係が築けたら嬉しい。
そして、どちらかが欠けるまで、ずっと一緒に仲良く過ごせそうな人。
お互いがジグソーパズルの最後のピースになれるような人。

価値観や考え方の大きく違う人と一緒に暮らすのは難しい。
家族さえ簡単ではないと思っている。
自分の意見と同じように相手の意見も尊重できるのでなければ会話もかみ合わないと思う。
議論しながらよりは、相手の意見を尊重できると感じられる方がいいと考えているからだ。
わざわざすり合わせたりする必要がない方が、安心して暮らせる。

今は、どこが安全なのかわからない。
ともかく、ウクライナの人々が望む通り、ロシアから奪われたものを取り戻すことが大事だ。
けれども、この戦争によって、それぞれの国の進む方向も変わっていくように思える。
そういう理由もあって、この戦争が終わるまで結婚については考えられないと思っている。

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