アニメーションと聞いて最初に思い浮かぶのは、トトロなどの宮崎駿作品で、他にもドラえもんとかセーラームーンなどの有名なものは、知っていた。
けれど大人だから(笑)、映画やドラマは観ても、なかなか新しいアニメを観るという機会がなかった。
近頃、若い仲間たちに紹介してもらったので、いくつかアニメを見てみると、決して子供向けというのではないけれど、異世界ファンタジーと呼ばれるSFっぽ作品の中では、魔法だって現実の世界のように描かれている。
これが実写版だと特撮があったりすることになって、そこの技術に着目したりと、少し横道にそれてしまうこともある。
いずれにしても、映画館で1回の映画を観る程度の料金で動画を配信しているアプリに登録していれば、本当にたくさんの種類の映画やドラマ、アニメを見ることができるので、本当に便利な時代になったと思う。
アニメの話に戻ろう。
近頃、キャラクターのアバターなどを制作しているので、アニメーションも気になる。
けれど、どうしても好みが反映されるので、私の場合は、ゆるい感じのキャラクターのストーリーの方が安心して観られる。
(実は、映画だとアクション系のストーリーも好きで、ジェイソン・ステイサムの映画もたくさん観ているのだけれど)
いつも利用している映画のサイトで、イチ推しとして出て来たアニメの中に「古見さんはコミュ症です」というタイトルのアニメーションがあった。
すぐに興味が持てなかったけれど、観てみると学園もので、ほのぼのとしていて、周囲の人たちがトラブルを巻き起こしながらも温かい感じを表現してあるのが良かった。
HSP系の人間としては、夜眠る前の一人反省会的なところにも共感できるのだけれど、出かけたパーティーで、「私もそういうところあるかもしれない」アピールをしてみたところ、周囲から全否定された。
それだけ話せる人は、大丈夫だと。
ここは、一人反省会の部分に注目してほしかったのだけれど、なかなか思うようにはいかない。
そもそも、人間はみんな「こんな感じの人」と分けることの難しい個性的な生き物だと思う。
コミュニケーションが苦手な人と、コミュニケーションが苦手に見える人、があるかもしれないけれど、コミュニケーションが苦手と感じている人というところまで入れるとコミュ症っぽい性格の人は、たくさんいるのだと思う。
私は職業柄、コミュニケーションが不得意には見えないと思う。
けれど、思うようにできていないのは事実なので、得意かどうかとなると、自分では、判断が難しいと思う。
これも基準のないことを言っても詮無いことなのだけれど、例えば第一線で活躍する営業マンのようなトークは私には絶対にできない。
けれど、必要なコミュニケーションが取れるかどうかが問題なので、それができれば社会的にも問題がないのではないかと思う。
得意とも言えない外国語を話す時に、いつも弱気な自分に言い聞かせることがある。
文法も間違えるし、発音も良くないかも知れないけれど、言葉はコミュニケーションのためのツールだから、上手に使えるのに越したことはないけれど、少々難があっても理解し合えることが一番なのだ。
仲良しの韓国人女性は、発音と、たまにある小さなミスで、おそらく韓国の人だと気づく人が多いかもしれないけれど、私の遠回しの表現にも、機微を理解してくれるので、深いコミュニケーションが取れている。
日本人でも、なかなかこういう人はいない。
本当はコミュ症という言葉には偏見があるのかという勘違いがあって、あまり好きではなかったのだけれど、表現の下手な不器用な人tという意味では、このアニメの主人公のように、世間ずれしていないかわいらしさがある。
学問が発達して行くのにつれて、いろいろな症状にも呼び名が付けらることになるけれど、何もトラブルを抱える人が増えたということでもないような気がする。
このアニメの話を若い友人にしてみたところ、彼女たちも知っていて、楽しいよね、と言っていた。
作者の表現の仕方次第で、言葉が先に流行をしても、周囲から温かく見守られるような雰囲気の世の中になっていくと、とても素敵だと思った。