評論家?

ウクライナ侵略戦争
UnsplashArno Senonerが撮影した写真

今日、有名な学者さんのお話をネットで聞いていた。
その人は、日本が、早ければ4年後、遅くても十数年後には、なくなってしまうと言っていた。
トクヴィルというフランスの思想家の話を引用して、民主主義は行き詰まるし、人は経済のことしか考えなくなると言う。
そして日本と米国、そして隣国のことを批判していた。
でも、もう遅い、政治家もだめだし、とのことで、日本がなくならないための解決策は、話の中に入っていなかった。
確かに、政治家には、なかなか尊敬できる人が見つからない。
でも、技術は進歩しているし、何も現状のままではなく、3年後には、日本も変化している可能性はある。
ただ、批判して諦めるよりは希望をもって、今出来ることを考えて行動に移すのがいいと思う。
そんな達観したような態度ではなく、ジタバタしようよ! と思うのだ。
今の日本の立場では、急激に方向を変えてできることは少ないと思う。
なので、今構築できている外交関係の中で、なんとか生き残る術を見出すしかないと思う。

学者さんの仰る「プーチンは、戦争をするしかなかった」という言い訳までは、まだ聞くことくらいはできるけれど、子供たちを誘拐したり、彼の兵士が傷つけたり、殺したりしている行為は絶対に許せない。
それに、プーチンにとって都合の悪い人間が死んでいく事例があまりにも多すぎて、偶然とは思えない。
それも証拠を見つけて裁いてほしいと思う。
また別の人たちの、”中国と仲良くしよう、についても、右をぶたれたら左の頬を出せ”的にしか聞こえない。

情報を読めば読むほど混乱する世の中になっている。
AやBの考え方が極端で会ったとしても、その判断材料がない場合には、正しい理解ができているかどうかわからない。
けれど、一つ一つの事柄について、解説をし、教えてくれる人がいて、その人のことをとても信頼していたとしたら、その人の言うことは信じられる。
なので、Aという考え方をしている人にもBという考え方をしている人にも、信奉者は出てくるということになる。
どちらが正しいのかを迷っている時に、その数が半々に近かったなら、どちらが正しいという結論を出すことは難しい。
そんな時に、どうやって自分の信じる道を決めるかと言うと、結局はそれを語る人物を頼りにすることになる。
つまりは、その人を信じられるかどうか、或いはその人のことが好きかどうか、ということになるように思える。
自分で考えて答えを引き出せる場合は良いけれど、中途半端な私のような人の場合には、信頼できる人の考えに頼る方が安心と考える人の方が多いと思う。

この戦争は、仕掛けたロシアと防衛・奪還するウクライナだけではなく、ロシアと繋がっているBRICSの国々やウクライナを応援しているNATO加盟国・その周辺諸国、武器を製造している国々、ウクライナから食料を購入していた国々の問題と、世界中を巻き込んだ戦争だ。
そして、この戦争の結果で、また周辺の情勢は変わっていくはずなので、日本にとっても、とても重要な出来事だと思う。
自分の立ち位置がどこにあるのかを常に考えておかないと不安な性格の人は、迷子になりながらもニュースを追いかけているけれど、そうでない人との間にはギャップがある。
先にも書いたけれど、いろいろな情報のある中で、何を信頼するかは、個人の判断になっている。
なので、陰謀論を信じている人もあるし、それを否定するのも感覚だけでは、難しい。

今、ポーランドの国境付近には、2年前にも起こったように移民希望者が集まって来ているそうだ。
2年前、ベラルーシは、その人たちに不法に越境してポーランドに侵入するための経路を教え、はしごや柵を切るためのカッターなどまで渡していたのだそうだ。
こういうことをハイブリッド戦と呼ぶらしく、直性の攻撃ではないにしても国にダメージを与えることができる戦略とされている。
ネットのニュースの中でインタビュアーが、ポーランドの国境に近いところに住んでいる婦人に質問をしていた。

「不安はありますか?」
「いいえ。ポーランドはNATO軍に加盟していますし、政府がちゃんと守ってくれると信じていますので心配していません」

少し驚いた。
これがもし、私の住んでいた仏語圏の人たちだったら、きっともう少しシニカルに答えただろうと思うし、日本人で、こんな風に答える人はあるだろうか?
或いは、同じ会話が成立したとしても、隣国あたりだと意味が違って来る。

とても頭の良い人たちなのだろうけれど、物事を斜めに見て、冷笑しながら話をする人は好きではない。
侵略された側のウクライナでは、毎日、戦争に関係のないはずの子供や市民も亡くなっている。
どうすれば侵略した側で、自国の国民に対しても世界に対しても、嘘を吐きながら攻撃と侵略を止めないロシアを擁護できるのか何度考えても理解ができない。
日本人でも、いろいろな立場で今回の戦争に参加している人たちはいる。
ウクライナでカフェを開き、毎日食事を無償提供している人もある。
その活動を賄うのに、日本からの寄付が支えになっている。
他にも義勇軍に入って、直接戦闘に参加している人もあるし、事務方の人もある。
自分にできることをしようと出掛けたその人たちの、まっすぐな気持ちの方が敬意をもって信じられるし、ずっとずっと好きだ。
外から非難ばかりしても何も解決はしない。
目立たなくても、自分の信じることを実行する生き方の方が幸せに感じられると思う。

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