戦争と死刑

ウクライナ侵略戦争
UnsplashのFabian Bächliが撮影した写真

毎日、Youtubeを観ている。
まずは、戦況がどうなっているのか気にかかるし、地上波のTVと違って、いつでもニュースが観られるようになったので、とても便利だと思う。

今日は、ポーランドに対するベラルーシからの領空侵犯があったというニュース(数日前から出ていたが)が詳しく解説してあるものを観た。
本当かどうかわからないけれど、ベラルーシにいるワグネルの部隊がポーランドに入り込もうとしているということ。
多分、そんなことはしないと思うけれど(NATOを相手に勝ち目がないことはわかっているはず)ウクライナの戦力を減らさないようにして守るしかないのではないかと思う。
ポーランドとウクライナの政治家同士が、何やら言い争いをしているというような話も出ていた。
そんなことをしている場合ではないので、ゼレンスキー大統領が収めに入ったようだとのニュース。
もう少し涼しいのかと思えば、欧州もかなり暑いらしい。
このところ、日本の関東地方では体温前後にもなる気温の日も続いている。

戦争の実況を見ていて、敵であっても死を喜ぶことには抵抗を感じる。
そういえば、戦車がなぜ必要かと言えば、攻撃よりも戦士たちの命を守ることなのだと考えると、当然必要だと思えるようになった。

仇討ち制度は、きりがないという理由で廃止されたようだ。
野蛮と考えたのかもしれない。

ずっと昔のこと、とある人権団体の話を聞きに出かけた。
ボランティア活動、というよりは市民運動のようなことをしていたので、ものの考え方や議論の仕方についても参考に話し合いを聞きたいと思っていた。
その時は、「死刑制度」についての話し合いをしておられた。
私自身は、悪い人であっても、人間が他の人間の命を奪ってしまってよいものかという疑問と、ただ裏付けのない気弱な考えでいたので、その場の空気に圧されているだけだった。
メンバーの中には僧侶が混じっていて、「死刑は廃止すべきだ」という意見で埋め尽くされていたので何の議論もなかった。
その時、一緒に出掛けていた人が口を開いた。

「死刑は良くない。それはわかりました。では、死刑囚に殺された何人もの人たちの家族の思いは、どう解決するんですか?」

その時の私は、ただ、その場の空気が壊れることを感じただけで、どちらに傾けばよいのかわからなかった。
別の友人と、この話をしたのを覚えている。

「私は、死刑には反対。そんなに簡単に死んでもらっては困ると思う。だって、殺した人数分と同じだけの苦しみを味わってもらわないと気が済まない」

普段は面倒見の良い優しい人なので、発言には驚いたけれど、考えてみれば情の濃い人というのは、そういうものかもしれないと思った。

結局、この話は、仇討ちに似ている。
死刑制度は残しておいた方が良いと思う。
実際に実行するかどうかの判断は、しっかり時間をかけなければ、冤罪でないことを確実にする必要もあるし、死刑執行人として仕事をする人たちの苦しさも理解はできる。
けれど、せめてもの抑止力として残しておいてほしいと思う。
社会に生きる人間として、

人を殺めたら、自分の命もないと思って生きてほしいし、そう思って生きたいと思う。

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