HSPとは、Highly Sensitive Personの略で、先天的に、非常に感受性が強く敏感な気質を持った人のことを指すらしい。
世界的にも5人に1人、日本だと人口の30%は、この傾向があるのだそうで、おそらく私も例外ではないと思っている。
敏感すぎるとなると、とかくこの世は生きにくい、ということになってしまいがちだけれど、これも、年齢とともに自覚して気をつけることによって、多少は改善されているような気がする。
すぐにびっくりするのも、だんだん鈍化して来るにつれて、まぁ、いいか・・・と思えることが増えて来るからかもしれない。
ただ、集中して何かをしている時に声をかけられ驚いてしまうのは、今も全く変わっていない。
この性質について読んでいる内に、やはりアーティストやクリエイターに多いのではないかと思うようになった。
そもそも、過敏なほどに敏感でなければ芸術作品を生み出すことは難しいのではないかと思う。
例えば、小説を書いている時には、主人公に感情移入をしている。
書き始めた頃は、自分の経験のあることしか書けなかったのが、周囲の親しい人に話を聞くこと、映画などのメディアや本を読むことによって、それが擬似体験となり、自分の感覚のように捉えられるようになって行く。
恋の歌を書き続ける人たちが、全てを経験していないのと同じことだ。
昔から、よく気がつくとか、周囲のことを考えすぎると言われて来た。
女性の場合、気が付かないことや腰が重いことについては、まるで瑕疵があるかのように悪く言われてしまうこともある。
子供の頃に、そういう大人の暴言を耳にしたことがあったので、できないことは悪いことで、できる人になるべきなのではないかと思ってきた。
けれども、そういうことの多くは、元々持っている資質だったりするような気がしているので(違うという説もある)、気が付かない人が自ら注意をして、気がつくようになることはできるかもしれないけれど、感じる、ということとは異なるのかもしれない。
私自身は感覚的な人間なので、集中力を持って何かをすることは普通にできるけれど、嫌なことを無理して一生懸命努力するというのは苦手だと思っている。
努力・忍耐・根性というような言葉からは重圧を感じるので苦手だ。
なので、ほとんどの授業(好きな科目は特に)は真面目に聞いていたが、好きな科目以外、あまり試験勉強をしたことがない。
自分の子供にも、しっかり授業を聞いて、宿題は必ずしなければならないとは教えたが、一度も勉強しなさいと言ったことがなかった。
勉強は自分のためにすることなので、親でも他人に言われてしたからと言って、できるようになるものでもないと思うとさえ言ったことがあった。
にもかかわらず、私の娘は、いつの間にかしっかり勉強をする子供になっていた。
そして、ちゃんと勉強しない「私」が、逆に叱られたものである。
最近になって、HSS型のHSPという言葉を目にする機会が何度かあって、気になり始めたので調べてみた。
HSSとは、High Sensation Seekingの略で、HSPで刺激に弱いはずなのに、刺激を求めてしまうという特性を持っている人のことを指すらしい。そしてその数は、HSPの中の更に30%で、全人口の6%だと言われているらしい。
【HSS型HSPとは】矛盾に苦しむ・・・社交的で刺激を求めるのに傷つきやすい人
読めば読むほど、面倒な性質かもしれないと思う。
でも一方で、上手に向き合えば、周囲を幸せにすることはできるかもしれないという気がする。
そもそも、どうして、こういうことを調べ始めたかというと、心療内科などの広報用のページに、「辛いと思ったらご相談を」のような言葉が並んでいて、病気なのかもしれないという不安を感じたからだ。
でも、性格的なことで、病気ではないらしい。
それなら、他人の情報を上手にキャッチできる特性を活かして、引き上げるお手伝いだってできるかもしれないという考えに至った。
娘は間違いなくこの性質を持っていたし、彼女と親しかった友人たちにも同じ特徴が見られる。
先週末に出かけたフォーラムで、私にもわかりやすい英語で、CQ=異文化適応能力 のお話を聴いた。
もしかすると、そちらの能力も高いのではないかと思う。
元より、ポジティブな考え方をしようと思いながら生きてきた。
いろいろあるけれど、友人たちの言う通り、これまで通り、真っ直ぐ前を向いて進んで行こうと思う。