王妃ラクシュミー

世界のこと

異国の物語を読んだのは、本当に久しぶりだ。
少し前にカミュの異邦人を読み返したけれど、他はビジネス書であったり、何かのマニュアル的な本であることが多かった。

近頃は、何でも映像で観ることができるので、ついつい映像を追いかけてしまう。
けれど、物語の優れている点は、想像力を必要とするので、自然に自分の力でそこをビジョンとして創作している点でもあると思う。
もしかすると、夢も同じ種類のことかもしれないけれど、夢の場合には、お話の辻褄が合わないことが多くて、後で疑問点も多くなってしまう。

王妃ラクシュミー

さて、物語の舞台は、インドのガンジス川流域から始まって、インドの独立のために戦った15歳の少女の冒険と活躍の物語だ。
この本は、ジョイス・チャップマン・リーブラ著 薮根正巳訳、サブタイトルに“大英帝国と戦ったインドのジャンヌ・ダルク“ と書かれているので、元気な女性の物語であることがわかり、読む前からワクワク感を与えてくれた。
実は、この本は藪根氏ご自身にご紹介いただき拝読したので、そもそも尊敬申し上げる凄いひとのイメージが、私の頭の中で更にアップグレードされて、スーパーな人になった。
どこから見ても齢90歳を超えておられるなんて、全く信じられない方だ。
通常、頭のいい人の書かれた文章は、私のような凡人には読みにくくて大変なのだけれど、「訳した小説」ではなく、初めから日本語で書かれた書物としか思えないとっても読みやすい本だった。
藪根氏のご友人だったリーブラさんが女性だったためか、王妃ラクシュミーの思春期的な心の動きや大人の女性に変化していく時の描写が、事細かく描かれていて、そこに感情移入しながらすらすらと読んでいくことができた。

世界の国の中で比較をした時、日本の女性の地位は、先進国では最低ランクだ。
何でそうなってしまったのかについては、いろいろと原因があると思うけれど、この場合、過去を学んでも、そこから解決できるものではないと思う。
平塚らいてうが雑誌「青鞜」を発刊していた頃は、日本は、欧州にも負けないくらい早くに女性の立場を確立できそうな勢いの国だった。
戦争や軍国主義に飲み込まれて以来、今でも月のように青白い立場に追いやられてしまっているのが日本の女性の立場のように見える。
他の国の女性たちがどうやって立場を同じように引き上げて来たかと考えた時、やはり同じ権利を勝ち取るのには、同じ義務を果たさなければならなかったのだろうと思う。

時折、男性だけが毎日残業をして仕事をしている家庭で「夫が家事・育児を手伝わない。男女同権なのだから、半分は、男性も家事をすべき」という意見を聞くけれど、そこだけ切り取ってみると、少し違うような気がするのだ。
夜泣きをする赤ちゃんがいる時期に、妻が家にいるなら赤ちゃんに合わせて生活をすればよいわけで、夫が決まった時間に仕事に行かなければいけないのなら、夫の世話は自分でしていただくことで、問題は解決するのではないかと思ってしまう。

欧州に暮らした頃、ドイツやフランス、ベルギー、それにスカンジナビア辺りでは、女性の地位はかなり上がっていると感じられた。
欧州の、それも私の知っているという狭い範囲のご家庭では、この分担を上手にしておられたと思う。
共働きが原則の国で夫婦の収入や仕事による拘束時間が違う場合に、家事育児の労働の部分をうまく分担できなければ生活が成り立たない。
けれど、家庭によって男女の比率は違っても、夫婦は家を購入するローンや税金も一緒に支払っていた。
女性の方が出世していて、より仕事に専念している場合は男性の方が家事育児を多く分担しているという場合も珍しくなかった。
エンジニアであっても女性の課長がいて当然だったので、育児の間、自宅からビデオ会議で赤ちゃんと一緒に話をしているという場面も見たことがあった。
結局、女性が力を発揮できるのには、それを強く望む女性の動きと社会の受け入れの両方がなければ難しいのだろうと思う。
それを考えた時、日本は、まだ大きな変化を迎えることはできないような気がする。
女性議員の数だけ増やしたところで、あまり実質的な意味を感じない。

先日、EU脱退を後悔しているという国民の多いイギリスの女性のお話を伺う機会があった。
ブルーのソックスを履いて女性解放運動をしていた彼の国であっても、まだ女性の地位は、男性と同じところまで上っているわけではないらしい。
けれど英国は、最近まで女王の国であったので、やはり日本は、まだ追いついていないということかもしれない。

王妃ラクシュミーの話を読むと、彼女の責任感と強さが好きになり、どこかでインド寄りの考え方に与したくなるような気持になる。
もうひとつには、やはり侵略という感覚が受け入れられないからだろうと思う。
そして、かつて私には、インド人の大の仲良しがいて、彼女の周辺の人たちともよく食事をする機会があった。
その中に、欧州人女性の強さとは全く違った自信と誇りを持った目を感じていたが、いまだにそれが何なのかを説明することはできない。
ただ言えることは、少なくとも日本の女性よりは堂々としている。
なんとなくだけれど、自分の役割とか生きる意味みたいなものについて、既に知っているようにさえ見える。

今の戦争も同じで、私にはロシア寄りの意見を唱える同じ国の人たちの気持ちが理解できない。
私の仲良しだったインド人女性が事故で亡くなってしまったことで、当時、弔いのことや彼女の忘れ形見を見守るお手伝いをしていたので、お付き合いの範囲は広がった。
そこで関わったインドの人たちの習慣や風習を学んだ。
結婚は、自分たちの意思で決められるわけではなくて、家長や僧などの高位の人が決めること。
日本でも、かつては、そうした習慣があったけれど、今はほとんど聞かれない。
それもきっと、私の知っているインドの人たちとは違い、今は、少しずつ進化し、変化をしているのだろうと思う。

それから宗教と生活に、とても不思議な一体感が感じられるのがインドだと思う。
日本でも、キッチンやトイレに神様がいたりということは、あったけれど、現在は、熱心に信仰をして生活の基盤にしている人は、そう多くないかも知れない。
欧州でも、カトリックだと、忘れ物をした時や会いたい人がいる時、お勉強のためなど、そこかしこに、その時に祈りを捧げる対象の聖人がいて、願えば助けてくれると、かつて仲良しの義母が教えてくれた。
やはりインドでも、そういう習慣は、少しずつ遠くなっているのかもしれないけれど、おそらくまだ牛を食する人は少ないだろうと思うし、額などに印をつける人も少なからずいると思う。

けれど、インドは人口も多く、今後、経済的にも発展をしていく国であることに間違いがない。
別の面で、BRIIKSの主要加盟国であり、経済的には欧米と別の路線の立場を取っているので、日本とも少し立場が異なることになっている。
但し、政治的なことについては、あまりはっきりとした意思表示をしない。
軍事的な意味では、中国との間でトラブルを抱えているし、まとまる関係ではないのかもしれない。

あれこれと考えることが多すぎて変な感想文になってしまったけれど、日本の女性が元気になるための1冊としては、とってもよい本だと思うので、ぜひお勧めしたい。

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