芸術って。

ウクライナ侵略戦争
UnsplashのAlex Gruberが撮影した写真

ずっとずっと気になってきたこと。
それは、芸術って生活には必要のないものかどうかということ。
欧州にいた頃、公立のCDレンタルのお店で借りた黒澤明監督の「どですかでん」という映画を観た。
登場人物がみんな個性的で、ちょっと驚きながら見ていたのだけれど、その町全体が経済的に厳しい状況の中で、コロッケを揚げて生計を立てているお母さん(菅井きんさん)とその息子の六ちゃんのことがとても気になった。
お互いに頭がおかしいと思っている親子が、それぞれ仏壇に向かって、相手が治るように祈っていた。
六ちゃんは、毎日、学校に行かずに「どですかでん、どですかでん」と言いながら電車+車掌さんになったつもりで、町中を走っていた。
その時、六ちゃんの創造する線路上にイーゼルを立てて絵を描いている人がいて、六ちゃんに危険だと叱られて急いで移動するシーンがあった。
解説を読んだところ、つまりアーティストの立場を象徴しているのだとことで、何となく違和感を抱いたまま、今日まで来た。
けれど、人間が生活する上で、絵もなく音楽もなく、毎日を過ごす人の方が珍しいのではないかと思う。

人の生活に目に見えて必要なものがあって、それを作る仕事に携わっている人たちは尊くて、そうでない仕事の人たちの仕事は余分?と理解するのは違うと思っている。
血管の中は、赤血球も白血球も血小板もある。
けれど、血しょうがなければ、血液は回って行かない。
同じことではないかと思う。
気付かないけれど、これも人が生きていくのに不可欠なものだと思う。
味覚でいう「旨み」の部分かも知れない。

そんなことを話しながら友人と絵の展示会に出かけた。
甲斐荘楠音(かいのしょう ただおと)の展覧会が東京駅ステーションギャラリーで8月27日まで催されている。
性的にはバイセクシュアルな性質を持った人だったようで、若い頃には男性パートナーと暮らしていたが、引き裂かれたようだ。
その後、婚約をしていた女性がかなり年上の男性の囲い者になったということで、欲望の現れた表情を描いていて、その顔が幽霊に見える人がいるくらい怖いものとして表現されていた。
素直に思うところを表現してあると感じたので、とても理解がしやすかった。
映画の有名俳優のためにデザインした着物がポスターとともに展示されていて、どれも素敵なものだった。
甲斐庄楠音展示会

楠音が唯一愛した女性。

そこでパンフレットを買った友人が、楠音の言葉として中に書いてあったと教えてくれた。
「私は信じている。
生活を、活かした仕事は人を動かす力を持つと、芸術の使命の内に人を打つものがなければならない」
もしも出会えていたら、気が合う人と喜べたのではないかと思う。

ロシア人のアーティストの立場が非常に気の毒に思える。
他の職業の人たちも同じ条件だと言えばそういう部分はあるかもしれないが、そもそもバレエダンサーやオペラ歌手は海外公演に出て生活費を稼いでいた。
でも今は、外に出て活動するためにはプーチンの踏み絵を踏まなければならないような事態が生まれている。
彼や彼女たちが外貨を稼いで帰れば、税金として納めた分は、プーチン政権にわたっていくのかもしれないと思う。
ただ、アンナ・ネトレプコの例で言えば、彼女は、ウクライナの劇場にも多額の寄付をしていたし、決してプーチン寄りということではない。
けれど西側では、芸術活動をするのなら思想をはっきり(反プーチン側と)させなければならないという条件が付いてきている。
では、ロシア国内で、どのような評価されているかと言えば、2017年の時点で既に有名な演出家がプーチン容疑者に逮捕されている。
逮捕ならまだよいけれど、反プーチンのジャーナリストや元スパイの人たちなどは命を失っている人もある。
これでは、彼の意見や思想に抗うことができなくなってしまう。
思うところがあっても発言できないので、全く四面楚歌の状況なのだ。
それを考えると本当に気の毒に思う。

先日、ウクライナの女性が不買運動への協力を呼び掛けていた。
そのお金がロシアの力になって、またウクライナを攻撃する資金になるからと。
確かに、その通りだと思った。
ただ、反戦の想い、反プーチンへの思いを会話にできないまでも、文化・芸術面で、せめてこの次の戦争が起こらないために何かできないのかと思ってしまう。

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