同胞意識?

ウクライナ侵略戦争
UnsplashWesley Baltenが撮影した写真

人にとって、もしかしたら仲間でいるという関係が一番楽しいのではないかと思える。
最小単位は二人だ。
これは、仕事でもいいし、遊びでもいいし、究極を言うなら夫婦だと、これ以上のステキな関係は、ないだろうと思う。
一人じゃなくて、二人で生きられるほど強いことはない。
けれど、それには、条件がある。
これは、よく言われることだけれど、同じ方向を向くこと。
でも、これが血縁ではうまくいかない。

昔は、いえ、日本では、今でも男性の方が社会的には強い。
ただ、今と昔の違うのは、同じように教育が受けられるから、多くのことで女性も能力を生かすことができるということだ。
けれど、体力という面では違うし、女性しか子供を産めないのだから役割も違って来る。
社会の中で、人は足りない部分を助け合うことで、やっと平等になれるという考え方を昔習った。
これがまた難しいことで、助けすぎてもまた不平等が生まれる。

同じ方向を向くにはいろいろな方法があると思う。
けれど、結局はこの三通りになりそうだ。
(ジェンダーにも、いろいろあるのは知っているけれど、ここは大雑把に男女だけにさせてもらおう)
・男性が女性の考え方に合わせる。
・女性が男性の考え方に合わせる。
・二人で話し合って決める。
三番目が一番いいように思える。
でも、例えばいずれか考えることの得意な方に、考えることの不得意な方が揃えるということも、意義がなければよいのだと思っている。
結果、決定したら、一緒に道を進んでいくこと。
本気で向き合える相手だったら、いちいち宗教に照らし合わせ誓わなくても、お互いを認めて、どんな厳しい時にもしっかりと一緒に生きていく覚悟ができると思う。
人が分かり合えて、どんな環境でも一緒に過ごすことほど幸せなことはないと思っている。

テロリストのことを考えてみた。
もちろん宗教由来のことが理由で幸せになる理屈もあるのかもしれない。
けれど、やはりみんなで戦っているということが、同じ方向を向くエネルギーと喜びになっているような気がする。
それが必ずしも正しい道ではないと思っていたとしても、一緒に走ってしまうのではないかと思えるのだ。
別に、一人の独裁者とかトップが命令したことだけが理由ではなくて、おそらく命を懸けて一緒に戦って来たという同胞意識が、結束を固くし、お互いに命を懸ける仲間のためなら死ねると思わせるのかもしれない。

きっと、ハマスの中には、これが存在するのだと思う。
その結束は、民族や宗教への想いもそうかもしれないけれど、報復をしたいという思いによっても固まるだろうから、それを正義と思ってしまうと止めるのは難しい。
イスラエル側も、お金持ちで、武器・兵器が潤沢にあったとしても、そのプライドだけが理由ではなく、やはり報復が戦意を強くしているのは、同じだと思う。
ウクライナにも、国土と人々の奪還という目標があるので、士気は高い。
けれど、ロシアは違う。
演習だと騙されて戦場へ連れて来られた兵士、国を構成している一部のお金持ちの考え、プーチン大統領の考えで、戦闘員として駆り出されているのだ。
士気が高くなるわけがないと思う。
同じ理屈からC国も、長期間の戦いになれば、ロシアと同じようなことになるだろうと思う。

考えてみれば、米国と日本が同盟関係を結んでいるということは、世界中が知っている。
もしも、日本に何かが起こって、米国が助けることをしなかったとしたなら、米国自身の威信が傷つくのではないかと思う。
そういう事情を考えると、C国は、台湾侵攻をできるだけ速やかに、そして米国・日本を巻き込まない形で終わらせたいと考えているだろうという説は、正しいのではないかと思えて来た。

たくさんの情報の中で、いつも頭の中で、あーだこーだと考えているので、つい戦争の方に結びついてしまうけれど、でも、人の結びつきとは、本来、温かくて幸せなものだと思う。

一緒に戦うということ。
スポーツやビジネスでも毎日行われていることだけれど、それは、やはり平和な土地に生まれたものの発想なのだろうと思う。
生まれた時から戦地にいて、周囲の人が亡くなっていく環境だったとしたら、正しいことを判断するのは容易ではないかも知れないと思う。
世界は見えず、そこに見える足元の考えだけで生きていたとしたら、視野を広くはできない。
それでも、人を殺す方向には走らないでもらいたいし、希望を持って欲しいと思う。
ただ、団結した仲間の中で死んでいった人は、幸せを感じたのだろうか?
それを正しいとは、とても言えない。
けれどもしかすると、答えはYESなのかもしれないと、時折り思う。

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