人の話を聞くということは、若い頃には難しいものなのだろうと思う。
自分では、あまり意識していなかったけれど、ある社会運動的な活動をしていた頃に、私よりも10歳近く年上の女性に言われたことがあった。
「あなたは、その年齢にしては、人の話を聞けるようになっているのが良い」と。
あの時はまだ30歳に入ったかどうかという年齢だったと思う。
人の話を聞くことは、その人の知識や知恵を分けてもらうことになるので、聞いた方が良いのに決まっている。
でも時折、ジェネレーションギャップとか、ポジションの違いで、うまくかみ合わないこともあるけれど、それも仕方のないことだと思う。
あの頃の方が、人間ができていたのかもしれないし、日本人らしく、同調圧力にも耐えられていたのかもしれない。
悲しいことが起こった時、それを消化するまでに時間がかかる。
特に家族を亡くした時には、悲しみをどこへ向ければいいのかわからないし、帰って来ないことも理解しているのに、待っている自分がいたりもする。
家で看病をしていたような場合には、自責の念は半端なく襲って来る。
どんなにしても結果は変わらないにしても、反省すべきことは、泉のようにとめどなく湧き出て来て抑えようがない。
考えても仕方のないことと、いくら理屈で理解しても、考えるのも、それを押し留めるのも自分、そして、また蒸し返すのも自分なのだから、きりがない。
自分の殻に閉じこもって、それを繰り返す内に、責任を外に持って行ってみたり、また自分の方へ持って帰ったりということも同時に行われるようになる。
何か他人の仕事に瑕疵を見つけてしまうと、そこにも窪みができて、悔しい思いが溜まって行く。
そういう場合には、嘘は吐けない。
そこまで頑張っていい顔を向けるほど、まだ人間ができていないのだろうと思う。
なので、接触を避けることになる。
逆にお世話になった人にも、慰められること自体に耐えられないので、接触を避けてしまう。
この状況の時に、リセットというのは便利な方法だと思うけれど、生活もあるので、簡単にそれもできない。
こういう状況のうち、いくつかの要素は長く引っ張ってしまうけれど、いくつかの要素については、意外と早く解決がつく。
例えば、待っている自分に気が付いて、それは起こらないのだと言い聞かせることを繰り返すうちに、これには諦めがつく。
大切な家族を失った時に、親戚のような人が、ある本を読むことを勧めてくれた。
輪廻のことを書いた本だった。
前世療法: 米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘
読みたい人があってネタバレをさせてはいけないかもしれないので、簡単に要約すると、この医師の元を訪れた女性が過去世についての記憶を持っていて、医師を驚かせる。
彼女の話を聞くうちに、人の存在の意味や、命の先に続くものについて知ることになるというお話だ。
気持ちを消化できない家族にとって、この本は救いになると思った。
それから、人はこの世を去ったら、どこへ行ってしまうのかについて、本やネットで情報を探しては、読み続けていた。
その中に、物理学的には、パラレルワールドがあるはずだという学者さんがあって、今は、その説がとても気に入っている。
会えないという悲しみと喪失感は消えることはない。
けれど、どこかに存在して、もっと幸せにしていることを想像すると、逃れられない罪悪感や後悔から少し解放されるのだ。
それは、無責任なことなのかもしれないとも思う。
ただ、自責の念ばかりにとらわれていると、生きていることの意味があるとしたら、それを果たすことさえできなくなる。
悲しみを感謝に置き換えてみるのもいい。
一緒に過ごせた時間、会えたこと、そして家族として生きられたこと、すべてが本当に幸せだった。
心からありがとう、と伝えたい。
この思いは、心の底から自然に出てくるもので、きっと悲しさを少し抑え込めた時に、やっと気付くのかもしれないと思う。
先日、こういうことを話すと、ここに書くことで、誰かの救いにもなるかもしれないとアドバイスをくださった方があった。
もしも読んでいただいていたら、その方に、ここで感謝の気持ちを伝えたいと思う。
ありがとうございました。