正しいことって?

ウクライナ侵略戦争
UnsplashErin Songが撮影した写真

もうずいぶん前のこと。
友人から泣きながら電話がかかって来た。
「夫に内緒で少しお小遣いを稼ごうと投資サイトに入ったら、多額の請求のメールがたくさん届くようになった」
とのことだった。
生活に困っていたわけではないけれど、プレゼントを購入するにも夫の稼いだお金で購入するのは違うかもしれないと思ったのだそうだ。
彼女とは、その時で既に20年ほどのお付き合いをしていたから、人物はよくわかっていた。
本当にまじめで素朴に生きていたのだ。
それがなぜ、こんなことになったんだろうと思い、よく話を聞いてみた。
ある日広告の出ていたサイトをクリックしたら、投資サイトに飛び、そこでヒントをもらえば、利益を出せると思ったらしい。
彼女は、何一つ契約を申し込んだわけでもなく、ただメールアドレスを登録しただけであると判明。
相手側のサイトは、かなり怪しいと思った。

「どうしよう? こんなこと勝手にしたとばれたら叱られる。
今まで真面目に生きて来て、たった一回、間違いを犯しただけで人生が壊れてしまうの?」

パニックになっている彼女の話を聞きながら、そもそも、投資自体は悪いことでもなんでもないことなのに、彼女は人生最大の失敗だと思っていることがよく分かった。
そこで、できるだけ丁寧に何が起こったのかを説明し、電話番号を変更するように勧めた。
単純に、迷惑メールが多すぎるのでという理由でよいのではないか、と相談をして、電話を切った。
その後、請求メールはストップし、彼女の生活は元に戻った。

それからまた長い月日が流れた。
今でも思い出すのは、”今まで真面目に生きて来て”と、彼女の言った言葉の中のフレーズだ。
引っかかったというよりは、とても納得のいく表現ではあったけれど、政治家など、これが別の人のセリフだったら印象は違ったかもしれない。

自分自身のことをまじめに生きていると言えるのは、日々の選択を誤っていないという自負があるのだろうと思う。
例えば、おつりが10円多かった場合、その場で気づけば返すことができる。
けれど電車に乗ってしまって、もしかしたら10円計算が違うかも? と思った場合に、戻って返しに行けるかどうかを考えてみると、非常に怪しい。
そもそも、向こうの間違いであっても、こちらの心にも少し歪を残しながらやり過ごしてしまうのが一般的ではないかと思う。
そこまで極端でなくても、人は、こうした自分の行動の選択を毎日繰り返していて、一般的には、歪みそうになったら自分で自重し、修正して戻すといったことを続けているものではないかと思う。

その額がもう少し多かったとしても、お金の場合は、まだ何とかなるだろう。
でも、これが命だった場合には、全く取り返しがつかない。
亡くなった人への思いは、それが後悔だった場合、いつまでも自分自身に苛まれることになる。
戦争にしろテロにしろ、私利私欲のため、或いは恨みを晴らすために人を殺しているとしたら、それは、浅はかなことで、また自分に同じ痛みが返って来ると考えるべきではないかと思う。
けれど、戦火は絶えない。

歴史がそうさせると、暴力を擁護するのは、やはり間違いだと思う。
なぜなら、結局は仇討ちの連鎖につながって行くからで、攻撃された方に我慢を求める理屈が通るなら、そもそも攻撃する方も我慢すべきだと思う。
子供が殺されていると、ニュースを聞くと胸が苦しくなる。
どちらも、そんなことは望んでいないはず。
けれど、本来は、子供たちの未来のために話し合いをして解決をしていくべきことだろう。
けれど、戦争は続く。
終戦のニュースの流れる日を、地球上の多くの人が、毎日、待ち望んでいるはずなのに。

タイトルとURLをコピーしました