そもそもホラー映画は苦手だ。
エクソシストの映画を観てから、子供ながら何が怖いのかを自分なりに考えていた。
怖いというのなら少女の形相とか首の回ること、イナゴの大繁殖で襲ってくる図などが挙げられる。
それに緑色の気味の悪い液体も嫌だった。
一番怖いと感じるシーンは、少女の部屋へ続く階段を上るシーンだった。
ということは、戦略的に、そこが怖くなるように計算されて作られていたのだ。
ジェットコースターも同じで、上に上がっていく途中が怖くて、人間の製造した機械を信じるのなら、その後の下り坂は快感とさえ感じられる。
言葉には霊力が宿る、というのが言霊の由来らしい。
でも、霊と聞いて思い出すのはエクソシストの少女の顔なのだ。
もしかしたらいるかも知れないけれど、会っていないので幽霊は信じていない。
その辺りの見えないものは、存在しないと考えても問題がないと思っている。
同じ理由で、占いや宗教も信じない。
神社やお寺、教会やモスクに関しては、そこを拓いたり、存在した人を祀ってあるということで、その人々や場所への敬意は持っている。
言葉に宿るものがあるとすれば、霊力じゃなくて、人の「思い」を入れたカプセルみたいなものではないかと思う。
これも目には見えない。
整合性を問われると答えに詰まってしまうが、「思い」自体がそもそも目に見えないけれど存在しているものなので、「思い」の入ったカプセルもあっていいのではないかと思う。
何故なら、「思い」は伝わると信じているからだ。
但し、伝わっても否定したりされることがあるので、願うような結果が出るとは限らないのかもしれない。
でも、希望をもってポジティブに生きる方が、必ず物事はよい方向へ向かうと思っている。
英語では、どうなるかと調べてみると、soul of language とか power of language となるらしい。
どちらかと言えば、後者の方が好みだし、イメージに合っていると感じる。
例えば物事は不思議なことに、見ている方向へ進んでいくことが多いと感じる。
それは、おそらく意識していなくても、自分の進みたい方向に向かうような選択をしているせいではないかと思う。
Sperager2にも紹介した脳科学の本にも出て来たけれど、オカルト的な話ではなくて、そういう結果になるのじゃないかと。
なので、ちゃんと言葉を選んで、強く思うことが「言霊」に通じるのかもしれない。
これもとりとめもない話。
だけど、たくさんの人が本気で平和を望めば、戦争のない世の中がやってくるのだと信じたいと思っている。