贅沢な暮らし

自分のこと

ここは、横浜の隅っこに位置しているので、まだ、山の名残りのままの遊歩道があったりして、自然を感じられるところが良いと思っている。

静けさというのは贅沢で、安眠の条件が提供されていると考えると嬉しいことだ。 高速道路は遠くないし、自らも車に乗っているので、自然や環境を守る努力をしているとも言えない。
そう考えると、わがままなものだという自覚はある。 静けさの思い出は、家族と友人やその子供たちとも一緒に、夏休みに、お店の一軒もない田舎の古民家を借りた。
BBQの後、花火をして、蛍を見に出かけた。 近所のお婆さんが、きゅうりやトマトを持って来てくれたのも宮崎駿のアニメのままで、子供たちはとても喜んでいた。
夜は、静かすぎて耳鳴りがした。 それは、もしかしたら、普段から耳鳴りがしているのに、街の喧騒の中で聞こえていなかっただけかもしれないと思う。

欧州時代も田舎暮らしだった。
元農家の家を購入したので、庭というよりは畑のサイズであったため、本当に手入れが大変だった。 ご近所は、みんな似たような、或いはもっと大きなお宅だったので、生活音などは全く聞こえない。 朝は、フルーツの木にやってくる鳥たちの大合唱で目覚め、たまに馬のいななき、牛の声や、狩猟区が近かったので銃声が聞こえることはあったけれど、騒音というほどでもないし、秋の虫の音以外、夜は、ひたすら静かだった。

今の暮らしで静けさ以外に贅沢だと思ったのは、鶯の里山が近くにあること。
春に鳴き始めると、秋までは、時折、どこかで囀っている。
そこで何故だか、ジャンニ・スキッキの「私のお父さん」が思い出されるのだった。
ところが、防災対策のためか、この冬、横浜市が近くの山で伐採を始め、多くの樹木が切り倒された。
空は広くなっていったが、チェーンソーの音がする度に、嫌な気持ちがしていた。

1月、ちょうど、近所に植木を刈りに来た植木職人さんと、心配な気持ちを語り合った。
2月の後半、暖かい日が続いた。 3月に入ったけれど、やはり鶯の声は聞かれなかった。
やっぱり、と思いながら過ごして三日日。
今朝の明け方、まどろみの中で耳を澄ませていると、 「…ピー…」 あの音は…と、思わず身を起こして、耳を澄ませてみると、高音の中にもふくよかな、あの囀りが聞こえた。
嬉しかった。

里山に 鶯の声 今朝戻る

今日はお雛祭りだ。

 

VizetellyによるPixabayからの画像

タイトルとURLをコピーしました