Superager

社会のこと
昔、娘の主治医の女性と話をしていて、体質ということを教わった。
血液検査で出る結果に応じて、平均的な処置の仕方を学問として習ってこられたのがドクターたちだ。
それは、データを積み重ねた結果であって、間違いのない事実なのだけれど、当然ながら、数値は全て平均値なのである。
中には、検査結果が平均から大きく外れていて、要注意の数値であるのに、その対処法として使うべき薬品を処方してもらっても治らない、効果のない患者というものがあって、必ずしも、一般的な処置が全ての人に対応できるとは限らないということだった。

 

例えば私は身長が161cmで43kgの時代からコレステロール値が高かった。
食事に気をつけていても、それはあまり改善されない。
なので、そういう体質=体の個性ということになるのだろう。

 

近頃、Superagerという言葉を学んだ。
年齢を重ねても衰えない脳の持ち主たちの話だ。
それは、体の健康とは異なって、心理学分野の話になるので、食事や運動といったこととは直接関係がないけれど、良い環境を整えるという意味では、やはり深い関わりがあるのだろうと思う。
<BBCニュース>Youtube
How to live like a ‘superager’ – BBC News
しかし、人間は社会的な生き物なので、人と関わっていることが、心理的な健康を助け、脳にも良い影響を及ぼすらしい。

社会的に善い行為を行うことが、心理的に認知機能を善い結果をもたらすということを京都女子大学の先生も言っておられた。

<京都女子大学公式チャンネル>Youtube

みんながSuperagerになることができれば、福祉の予算も他に回せるので、例えば、欧州のように、高齢になると週に一度は家にお掃除に来てもらえるサービスなども可能になるかもしれないと思う。
ただ、脳にも個性があるのではないかと、私は思っている。
生まれた時の細胞の数が似たようなものであっても、活用できている頭の良い人たちと、私のようにあまり活用できていない人があるのだ。

 

そういえば私の場合、子供の頃に、何度か溶連菌感染症を患い、大人になってからは問題がなくなったけれど、おかげで体育の時間に見学をすることが多かった。
それは一因であって、おそらく言い訳のようなものだろうと自分でも考えているが、今でもスポーツ観戦は苦手である。
その頃、子供だったので尚のこと、見学ほどつまらないものはなかった。
みんなが楽しそうにスポーツに興じているのをただ見て過ごすのだから。

 

それでまた思い出した。
その少し前に、友人と一緒に英語とバレエを習いに行った。
その子とは、学校は違ったけれど、電車通学で知り合った女の子だった。
彼女は、ある日、突然いなくなった。
一緒に英語塾へ行くために彼女の家を訪ねたところ、同居していた叔母さんが出て来て仰った。

 

「遠くに行っちゃったのよ」
「いつ帰ってきますか?」
「帰って来られないのよ。遠くだから」

 

そう告げられても、9歳の察しの悪い私は、いつか帰ってきたら連絡をくれるのだろうと思っていた。
バレエや英語教室までは子供の足で結構な距離だったし、一人で通うには遠かったので足が遠のいて、結局はやめてしまった。
後になってから、以前、彼女が言っていたことをふと思い出した。

 

「私は心臓に穴が空いているので、手術を受けなくちゃいけないの」

 

それが、彼女のいなくなったことと関係があるなんて、すぐには結びつかなかった。
今考えると、子供とはいえ、何度も家を訪ねてご家族に質問をしたことが、本当に申し訳なかったと思っている。

 

体育の話に戻ろう。
ある時、先生に見学の時間、本を読んでいてもよろしいかと尋ねると、許可が降りた。
以来、運動場の片隅の木陰で、ずっと本を読んで過ごしていた。
元気になってからは、いろいろなことに挑戦した。
それでも、私にとってのスポーツとは、自分でできることに限られ、観戦するということは苦手だった。
友人に誘われて仕方なく出かけた時、野球を観ていてもアメフトを観ていても、いつの間にか器用に眠ってしまうのだから申し訳ない。
本を読んで、或いは映画を観ての感情移入はできるのに、スポーツ観戦では、感情移入ができないのだ。
それは、楽しそうに見えるからというジェラシーも含まれているかもしれないことを思うと、私は心の狭い人なのかもしれない。
けれど、観ているだけではルールが理解できなくて楽しめなかったことも事実だ。

 

オリンピックも同じことだ。
感情移入はできない。
但し、12年の海外住まいの経験のある私としては、欧米人と日本人との体力差をよく知っている。
だから、日本の選手が賞を獲得することがいかに難しいかということも理解できると思っていて、メダルを取ったと聞くと、試合もろくに観ていないくせに、とても嬉しいのである。

 

こうして考えてみると、もしかしたら、人は不得意なことには参加しないので、自ら避けているというようにも思えるけれど、それは、もしかしたら経験とは関係なく、元から備わった脳の能力の個性もあるのかもしれない。
開発したくても、頑張って不得意な分野を理解することでSuperagerに近づくということでもなさそうだ。

 

脳の世界は、まだあまり解明されていないことも多いと聞く。
認知症という悲しい病が克服されたら、人類はもっと幸せになれると思うので、早く研究が進むといいなと思っている。
Brigitte WernerによるPixabayからの画像
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