武士の血?

ウクライナ侵略戦争
UnsplashHasan Almasiが撮影した写真

実は、もう30年近く前にインド人の親友がいた。
先に書いてしまうと、彼女は、たったの28歳で、日本にいて交通事故で亡くなってしまった。
その時、家族の人たちが日本へ渡航しようにも、すぐにビザが下りなくて、かなりの日にちを要した。
残念だったのは、確かに頭には白い包帯が巻いてあったけれど、顔のあちらこちらに血がこびりついていて、少々雑な扱いを受けたように見えたことだった。
私が救急隊や警察、ハイウェイの警備隊に何度も電話をかけて場所を知り、やっと彼女に会いに行けたのは、葬儀場の広い和室だった。
誰一人いなくて、彼女だけが時間の止まった空間で、木の箱の中に横たわっていた。
私が棺の蓋を開けて、血の塊を拭っていると、葬儀場の人が、「何か必要なものはありますか?」と尋ねて来られたのを憶えている。
日本の習慣として女性の死者には化粧を施す。
それが正しいかどうか考えもせずに、彼女のひどい顔色を何とかしようと思った。
最後に紅をさすと、彼女が笑っているように見えた。
大変な時も、いつも笑顔の人だった。
感じたのは悲しみよりも前に怒りだった。
なぜ、こんなひどい目に遭わなければならなかったのかと。

インドの階級の上の方の人たちは、みんな宗教を哲学としているように見える。
そもそも上の階級とは、仏門と関係があるようなので、そのまま続いているのだろうと思う。
数日後にたどり着いた彼女の母が、彼女の顔を見て、「誰がしたの?」と言ったのに一瞬たじろいだけれど、喜んでくれたことが分かってほっとした。
これが、フランス人の義姉の葬儀の時にはNGだった。
カトリックは、女性に優しくないな、とその時思った。

少し前に、ノンポリを自称する人が戦う人たちのことを武士の子孫なのでは?と言った。
しばらく、その意味を考えていた。
武士が名誉を重んじるから、米国で制作されたラストサムライや他の日本に関係する映画では、honorという単語が、しょっちゅう出て来る。
かつて日本には、仇討ち制度があった。
そうなると、永遠に恨み合いが続くことになる。
今は、死刑制度があって、抑止力として、或いは、本当に多くの人を殺めたり傷つけたりした人で、社会的に大きな影響を与えていた場合、例えばテロ集団の首領とか、そういう人が死刑となって来た。
なので個人の恨みを晴らすという制度ではないけれど、殺人を犯す人が社会の中に存在していることは、安全ではないし、殺された人の家族の気持ちを考えると、あってもいいのではないかと思っていた。

欧州の話だけれど、ティーンズの娘を乱暴して殺した犯人が、同じ空気を吸って生きているということ、そして、その頭の中で繰り返し、娘を凌辱するかもしれないことを想像するといたたまれない、と言った母親があった。
その気持ちは、ものすごくよく理解できたし、共感できた。
でも、その国には死刑の制度はなかった。
その時、日本に死刑制度のあることがありがたいとさえ思ったものだった。

闘争心ということを考えると、確かに武士の子孫と言いたい気持ちはわからなくもない。
でも昔、女性は常に従うのみだった。
明治生まれの祖母が私に言ったのは、「尽くしなさいよ」という言葉だった。
家業やそこに従事する人たち、たくさんいた家族を全部取り仕切って来た祖母が言うのだから重みがあった。
尽くすとは、一緒に生きるパートナーの立場や考えを理解し、それを支えて行くことだったろうと思う。
祖母が教えてくれた最高の愛情表現でもあるだろう。
血の中に入っているものは確かに拭えない。

今、イスラエルとガザの様子をネット上で見ながら考えることは、どうしたら、この戦いが止むのだろうということだ。
エライ学者さんが出てきて歴史の解説をしている。
「だから、この戦争はもっと大きくなる可能性があるんですよ」
なるほど、と思う。
ものすごく苦しいことだけれど、恨みという感情を捨てて、今とこれからのために、子供たちの未来だけを考えることで、過去のことを諦める以外に戦いが止む方法はないのではないかと思った。
そこまで考えると、やはり死刑制度も同じことなのかもしれないと思い始めた。
片を付ける、ということが誰かの死であるということは、違うような気がしてきたのだ。
戦争は悲しみしか生まない。
一日も早く戦いの止む日が来るように祈ろう。

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